心に花束を

現精神科看護師のブログ

自死について思う事3

同業者の入院患者   同世代


婦人科経験者で、中絶や死産を沢山見てきた方だった。


患者さんの心に寄り添う事が多く、幸せな出産を眺めても癒されなくなり


悲しみだけが貯金され

患者さんの心に入り込みすぎた彼女の心は弾け飛び


ついには、日常生活が出来なくなってしまった。


入院して沢山彼女の話を聞いて来た。

私には、寄り添い話を聞く事しか出来なかった。


段々月日が経つにつれて、心は和らぎネガティブな思考が薄れていった


彼女はとにかく元の職場への復帰を願っていた。


でも、私は職場を変えるようアドバイスした。理由も添えて。


彼女は黙ってうなづいてくれていたがわかったとは言ってくれなかった。


ある日、突然退院したいと希望された。

主治医からは延期を促されたが、任意入院ではどうする事も出来ず、説得するしかなかった。


段々諦めたのか、退院は止めると話し出す。


そこから2ヶ月入院を重ねて、更に一ヶ月は退院に向けた外泊を繰り返し準備を重ねた。


一抹の不安は拭えなかったが、それはどの患者さんでも同じ事。


あからさまな何かがあった訳ではないので送り出す。


ただ、外来の受診日には必ず病棟に寄る事を約束した。


外来看護、病棟看護、其々の目線や感覚は勿論違う


小さな変化を互いで注意し連携する大切さがある。


2週間に一度は受診して病棟に顔を見せに来ていた。


だいぶ表情が変わり入院した当初とは様変わりしていた。


6回目に顔を出した時、職場復帰する話をしていた。


無理は禁物だから、ダメだと思ったらやめるか入院するよって。


お母さんと赤ちゃんの幸せのお手伝いが又出来るとはしゃいでいた。


その次からの受診は一ヶ月に一度になっていた。


最期に会ってから20日後


近隣の大学病院から連絡があり、自宅で縊首をして運ばれたのでと病歴照会の電話だった。


結局、彼女に会う事は出来なくなってしまった。


遺書も無く、家族もこんな事になるなんてと絶句していた。


まだまだ、沢山看護師として活躍出来たはず


同業としても悔しい想いが溢れて涙が自然に流れてしまった。


人の心の強さ弱さは図れない。

世の中、重さや長さが図れる物が沢山あるのに。


人間の身体だっでそうだ、複雑そうで単純だ。


でも心だけは形も無く見えない。

気持ちは頭で考えてるのに、なぜか気持ちや心は胸の中にある表現。


心って何処にあるんだろう

心を痛めるって何だろう


姿や形の無いものに押し潰され

人は命を失う事もある


心の傷の万能薬もない


どうやって、回復していくのかもわからない。


身体の病気の医療は日々進んでおり10年あれば飛躍的な進歩を遂げている。


でも心のメンタルケアは薬物療法が中心で、中々進まない


もっと世の中の研究者の方、頑張ってください。


これからもっと世の中は、人と人との関わりが希薄になって行く事でしょう。


他者と会うことなく、仕事したり結婚したりするかもしれない。毎日一人で過ごしていくのかも知れない。



そして、未来ではきっと今とは反対にメンタルの研究が第一線になっていくと思う。


だからこそ、誰かと寄り添い語り合い触れ合う事は、心の健康に必ず繋がります。


だから、辛い時こそ1人にならず家族や友達と過ごしてほしい。


だれもいなければ、メンタルクリニックや病院の心療内科や精神科に来て下さい。


話を聞いてもらうだけでもいいんです。


誰かと対面して、誰かに聞いてもらう、、、

人を感じる事。


大切な事です。




自死について思う事2

20代の患者さん。


鬱状態が酷く、家族が心配して入院相談


入院してから3ヶ月後には、他者とのコミュニケーションも図れるようになり、自ら外出出来る様にもなった。


看護師にも、その時々の心情


辛い、楽しいを表現出来る様になり

仲の良いスタッフと恋愛について話したり。


未来に向かった夢や希望を口にする事もあった。


それでも、複数回の自宅への外泊や退院後の作業所への練習も兼ねた外出を繰り返した。


入院から半年後のある日


その日は祭日であった


夜勤明けのスタッフに午前中の外出を希望された


珍しい事では無かった為、行き先や目的を聴き取り手続きをした。


お母さんとおばあちゃんの御墓参りに行きたい、帰りに服を買ってカフェでお茶をしてくると。


日勤帯に入り送り出す。


いつもと変わりない笑顔、表情、様子。

何の疑いもなく、いつも通りの可愛い彼女だった


その後、部屋の受け持ちが検温で回っていると同室の患者から


昨日ね唐突に、いつもありがとうって言われたの、、、様子はいつもと変わりなかった。


でも少し寂しそうにして、お母さんに会いたいって言ってたの。なんか、気になっちゃって。


何となくザワッとしたものが胸をよぎったスタッフが彼女のベットに行くと。


几帳面な彼女が外出するのに、テレビ付けっぱなしで、タンスの一番下の引き出しが半分引き出されたまんまだった。


開けてみると、沢山の鶴の折り紙がそこにあった。

一つ一つ手紙になっていた。


家族や友人、スタッフ1人1人に宛てた内容だった。


すぐさま、彼女のケータイに電話を入れる。繋がらない。


警察、主治医に連絡。


出掛けてからまだ30分


院内にもしかしたら、いるかもと探しに行く。


出掛けてから1時間、病院最寄り駅から1駅先の駅で人身事故があった。


特急の止まらない駅で。


嫌な予感が全員に走る。


その1時間後、警察から連絡あり

彼女が特急列車に飛び込んだと。


持ち物のカバンに外出の許可書が入っていたのとウチから連絡があったのでスムーズに連絡できた様だった。


父親が確認しに警察へ行った。


特急だった為、ダメージが酷かった様であるが確認出来たと。


数日後、退院手続きに来られた家族は皆、睡眠、食事ろくに取れていない様でやつれていた。


鶴で織られた手紙をそれぞれお渡しする。


皆頷きながら、何度も何度も読み返している。


涙で読めない手紙を何度も目で追っていた。


最期の帰り際に、父親宛の手紙を見せてくれた。


父親との思い出や感謝がそこには綴られていた。父親の持病を心配する言葉も。


最後は、この病院に入院させてくれてありがとうと。


同世代のスタッフは友達の様に

お父さん、お母さん世代のスタッフは笑っちゃうけど本当のお父さんお母さんが言う事と同じ事言ってた。


おばあちゃんみたいに優しいおばあちゃん患者さんもいて


ここにいると、皆んなが元気だった仲良しだったあの頃を思い出すと。


自分は本当に幸せで愛情に包まれていたと。


この手紙はいつ死んでもいい様に書いたのだという事がかかれていた。


日付は3カ月前だった。






自死について思う事

今年は、芸能界の方の自死が重なった。


そして、9月の女性の自死が例年より28%増加したというニュースを見ました。


沢山の方が本当は毎年、自死に至り命を失っている。


それはニュースにはならない。


以前、ストレスケア病棟で働いていた時に関わった患者さんが自死に至ってしまった経験が何度かある。


私のいたストレスケア病棟は


長期になって自宅の様に暮らしてる方。

短期入院や薬物調整の方が多かったが

入院しながら、仕事に学校に行って又病院に帰ってくる社会生活と治療を同時進行している方もいた。


鬱やパニック、適応障害など比較的  社会生活が送れる方が多かった。


外来受診していく中で、悪化する前に予防的に入院を勧め、治療していく。


その中でも鬱病は私達にとって一番注意して関わる必要のある病だった。


鬱は周りには理解がすぐ得られない病気でもある。


ただの面倒臭い、怠け者の印象を与える事が多い。


でも実際は、本当に1番怖いメンタルの病気でもある。


それは、死へのハードルが低く


気持ちの揺らぎがロシアンルーレットの様に予測不能


良くなってきたよね、、、って時が一番心配


退院前後が魔の時になりやすい。


ベースに自死に注意というワードが刷り込まれている私達。


少しのサインも見逃さないように関わりを持つが、それでもそれをすり抜けてしまう時がある。


指の間から零れ落ちる水のように、、、



看護師になったのは、

小さい頃から憧れて、、、っていう良くある動機。


最初は、向き不向きがある職業かも知れないけどって漠然と感じてた。


看護師一年目にして先輩に


『あんた、向いてない』って厳しく叱咤された。


昔は怖い先輩ばかりで、毎日泣きたい気持ちだった。


だから必死に先輩の手技や、ケアの仕方  患者さんとの関わり方を見て


自分なりに振り返り、少しずつ自分の物にした。


最初は真似事だらけだった。


学校卒業したら、国家試験に合格したら理想の看護師にすぐ、慣れると思ってた。


でも一人前になるにはやっぱり三年はかかった。


色々な経験をして今思うのは


看護師ってさ


目指した時点で既に向いてるってこと



初めまして

消化器…循環器内科に10年

精神科にて10年目の看護師です。


色々な経験が自分自身、又皆さんの後押しになればと綴る事にしました。


沢山の泣き笑い、悲しみ、虚しさ、温かさ

ホントに色んな感情に包まれた看護師としての私の人生。


自分のケアや寄り添いかたに満足した事は一度も無かったかも。


いつも、もう少しこうしてたら

もっと、何か出来た事があったんじゃないか


と自問自答の日々です。


人と人との関わり、絆、繋がり。


お金が沢山あっても幸せとは限らない


誰かと何かを一緒に考えたり、経験したり、語り合ったり、触れ合ったり…


幸せは一人で感じるより誰かや誰か達と感じる方が何倍も…無限大に大きな物に繋がる


やっぱり人は想いを受け取ったり、与えたり

それを出来る唯一の生き物だから


まぁ、ゆっくり大切にこのブログを育ててみます。